これも和製英語。
「パネラー」か 「パネリスト」か
そして、秋田で行われたトークセッションに出たのである。パネラーは「俺の友達」と瀬下さんが言うので気楽に構えていたら、これが、元巨人軍の原辰徳さん、元新日鉄釜石のスタンドオフ松尾雄治さん、ロスとソウル五輪のレスリングの銀メダリスト太田章さんである。こんな目のさめるようなスターパネラーを相手に、私が満足なコーディネーターをやれるはずがないではないか。
(内館牧子『女は腕力 男は魅力』)
但し、同書p.227では「私はパネリストの一人として参加した」と書いている。
『ジーニアス英和辞典』にはpanelistとあり、訳語に「パネラー」とあるので、パネラーは純粋の日本語のようだ。
和製英語は枚挙にいとまがありません。
以前はこういうの大嫌いで、自分ではもちろん使わないようにしていたし、他人が使っているのを耳にしたら、その場で指摘したりしてました。
が、最近は、これも日本の文化の一つなのかな、と興味深く考え始めています。
「日本人が間違えやすい英語」みたいなもので、和製英語が生まれる背景には、日本語に備わっている言語的な特性や、日本人の精神性が大きく作用しているのだと思います。
そうそう、「グローバル・スタンダード」という言葉も和製英語らしいですね。特にワールド・スタンダードは使わないとか。
では、どういう言葉を使うのかというと、「インターナショナル・スタンダード」。
なるほど。